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死後はどうなる?

誰にも必ず、等しく訪れるのが死。

 

最近は昔のように、家で家族の死を見届ける機会が減り、

 

死の訪れに鈍感になりつつあるのかも知れません。

 

家族の死を、目の前で看取る機会が少なくなり、死について

 

考えることも減ったのかも知れませんね。

 

家族の死を看取った経験談

この話は私の経験談です。

 

私たちは、妻の母つまり義母が認知症になったため、義母と

 

同居をしていました。

 

認知症という病気柄、始めのうちは様々な苦労もありました

 

が、デイサービスの利用などを活用したりして、それなりに

 

約十年ほどでしたが、介護生活を経験しました。

 

介護生活の中で、いろいろ興味深い話もありますが、その話

 

はまた別の機会にお話ししましょう。

 

今回はその義母が亡くなる間際、とても不思議で、とても

 

ほっこりする気持ちになったお話です。

 

認知症でも自覚がある

義母は認知症になり、緩やかなペースで病状が進みながらも

 

不思議と平穏に生活をしていました。

 

転倒による股関節の骨折により入院したのち、車いすが必要

 

な状態にはなりましたが、無事家に戻ることができました。

 

そして約一か月後に突然死が訪れました。

 

穏やかな死を経験

朝義母の着替えなどを介助して、ベッドに再び横になって

 

もらい、朝ごはんの準備を進めます。

 

キッチンにつながった部屋にベッドがあるため、義母は

 

時折、朝ごはんの準備を横になりながら見ています。

 

あと少しで料理ができるという頃、義母と目があいました。

 

その時の表情は、いつになく表情豊かにニコニコしていまし

 

た。

 

認知症の影響もあってか、表情も薄いことが多かったので、

 

この日の表情はとても印象的であったこと覚えています。

 

しかも目の輝きがピカピカとして、こちらを見ていました。

 

「もうすぐできるからね。」と声をかけると、ニコニコしな

 

がら頷いています。

 

いつもと様子が違うなと何気なく思いながら、調理を進め、

 

出来上がったので、「おまたせ!」といって料理を持って

 

行くと息が止まっていました。

 

お迎えが見えていたかも

今思うと、もしかしたらニコニコとこちらを見ていた時、

 

お迎えの人が見えていたのかもと思えてならないのです。

 

義母は早くに旦那さんと息子を、ほぼ同時期に亡くしてい

 

て、ずいぶんと辛い経験をしたようです。

 

本人は看護師をしながら、残った二人の娘を育て、その一人

 

が私の妻というわけです。

 

時折、あの時旦那さんと息子さんが、迎えに来てたのかな、

 

と思います。

 

きっと幸せな瞬間だったのかも知れません。

 

時折義母の存在を感じる

時折、一人で車を運転していると、横に義母が座っている

 

感じがする時があります。

 

目に見えたり、声が聞こえたりするわけではないのですが、

 

義母の存在を感じます。

 

もちろん不気味だとか、そのような雰囲気は全くなしです。

 

しかも何故か昼間の時間帯です。

 

ちょっと遊びにきてくれた、そんな感じですね。

 

また家族旅行に行くときは、一緒においでよと声を心の中で

 

かけるのですが、一度面白いことがありました。

 

今は私と妻、そして息子の三人家族なのですが、和歌山県の

 

白浜に旅行に出かけた時の話です。

 

ごはんを食べようとレストランに入りましたが、何とお店の

 

ひとがテーブルに水と割りばしなどを四人分持ってきたので

 

す(笑)。

 

やっぱり付いてきてくれたのかなと、私と妻は顔を見合わせ

 

て微笑みました。

 

義母は義母で、何かと忙しいのかも知れません。

 

たまに様子を見に、遊びに来るようですね。

 

まとめ

思うに生と死は断絶されたものではなく、陸続のものだと思

 

います。

 

以前石原慎太郎さんが、亡くなった弟の裕次郎さんのことを

 

不在感はあるけど喪失感はないんだ、と言っていました。

 

まさにその通りに感じます。

 

亡くなっても存在がなくなるわけではなく、違う世界に移動

 

した程度のことだと思います。

 

 

 

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この世は幻想?

この世は幻想という言葉は時折耳にするものです。

 

これは一体どういう意味なのか?

 

一昔なら何等かの比喩表現のようなものとして扱われいまし

 

たが、最近では量子力学という学問の発達もあり、現実的な

 

話として扱われるようなりつつあります。

 

思いが現実を作る

様々な物質は原子で作られているというのは、よく知られて

 

います。

 

そして原子は更に陽子、中性子、電子などで構成され、どん

 

どん小さな粒子に分けられます。

 

そして現在もっとも小さいとされる粒子は物質であったり、

 

非物質であったりするとされています。

 

意識することで非物質から物質になるということです。

 

あまり現実感が伴わない話ですが、量子力学では真面目

 

に議論されています。

 

思いが自分の住む世界を決定?

 

いまやスピリチュアル系の本を読めば、よく目にするフレー

 

ズかも知れませんが、私もそう思います。

 

この世の中がひどい世界だと思えば、ひどい体験をし、この

 

世の中が素敵な世界だと思えば、素敵な体験をする。

 

実際経験的にそう感じます。

 

そんなことを語った本も結構目にします。

 

例えば本田健さんの著作の中にも、同じような表現がありま

 

した。

 

これはやはり思いが現実を作っているのかも知れませんね。

 

自分で体験する世界を選べる!

 

よく運命や宿命といった言葉がありますが、まるで人生は決

 

まっており、努力でどうなるものでもないといった話もあり

 

ますが、そのようなことはないと思います。

 

例えばバシャールが言うには、人は生まれてくる時にテーマ

 

を決めてくるものの、楽しむか苦しむかは選べる旨のことを

 

語っています。

 

つまり人生で何を学ぶかは決まっているとしても、幸せに楽

 

しく学ぶ人生を選べるということです。

 

自分で選べる!なんだか嬉しくなりますね。

 

自分の観念をあぶり出しましょう

 

人生の中で、何を感じるかは、自分の心の奥底で何を信じて

 

いるかによります。

 

人生は苦労するものだという観念を持っていれば、きっと苦

 

労の多い人生を歩むでしょう。

 

人生は楽しい経験を与えてくれるものだ、という観念を持っ

 

ていれば、きっと楽しい幸せな人生が待っていることでしょ

 

う。

 

こう考えると人生が楽しくなってきますね。