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あの世の義母が遊びに来た?

人は死んでも消滅するのではなく、永遠に生き続けると言い

 

ますが、そうだと感じることが時折あります。

 

もちろん客観的な証拠を出せるわけではありませんが、やは

 

り強い実感を伴うこともあり、最近の体験を紹介したいと思

 

います。

 

この話は決しておどろおどろしいものではなく、個人的には

 

死んで此の世を去っても、実は近くに存在してくれていると

 

感じる楽しい内容です。

 

主人公は十数年前に亡くなった義母

 

今回登場するのは、私の義母です。

 

生前は早くに旦那さんを癌で亡くし、女手一つで看護師をし

 

ながら子育てをしました。

 

しかし看護師を退職してから、ほどなく認知症になり、症状

 

は緩やかに進行しつつ、十年ほどデイサービスなどを利用しなが

 

ら余生を過ごしました。

 

その間、大腸ポリープや脳梗塞、圧迫骨折などを経験しつつ

 

も、生前の本人の希望通り病院ではなく、自分の家で他界す

 

ることになります。

 

死ぬ間際にも不思議ともいえる体験があったのですが、その

 

話は別の機会に紹介したいと思います。

 

グランピングでの夜

 

最近はコロナ明けということもあり、グランピング施設が多

 

く建設されています。

 

そこで、ちょうど子供が学校の合宿ということもあり、夫婦

 

二人でグランピングを体験してみようということになりまし

 

た。

 

ネットで色々検索していたこともあり、スマホの広告はグラ

 

ンピング施設の紹介だらけです。

 

その中に新設で、お値段もやや控えめな魅力的なグランピン

 

ぐ施設を見つけたので、早速そこに決定しました。

 

いろいろ自然を楽しみ、BBQを堪能した後、焚火をしながら

 

ゆっくりお酒を飲みながら、至福の時を過ごします。

 

お客さんご来訪

 

さて心地良い酔いに身を任せていると、グランピングの建物

 

の入口から妻が、誰か来てはると言ってきました。

 

???

 

誰か来てる?

 

人の気配なんか全くしないし、そもそも夜遅く、山奥のキャ

 

ンプ場に人?

 

怪訝に思いながら行ってみると、トンボが一匹建物の中に紛

 

れこんでいただけのことでした。

 

トンボを捕まえて、建物の外に逃がしてあげましたが、しば

 

らくすると妻が建物の中に入る時、またそのトンボが入って

 

しまいました。

 

仕方なく捕まえて、また外に逃がすことを繰り返すこと三回

 

続きます。

 

その後は私たち二人の後ろでブンブン飛んでは床に落ちを繰

 

り返しています。

 

きっと夜なので、しっかり飛べないのだろうと思い、そのま

 

ま寝るまで一緒に過ごしました(笑)

 

翌日別のお客さんご来訪

 

さて翌朝、昨晩のトンボの姿はなく無事飛んでいけたのかな

 

と何となく朝食をとりながら思っていました。

 

昼前にチェックアウトして、行ってみたいと思っていた海の

 

風景がお洒落なカフェに出発します。

 

あまり開発されていない漁港町にひょっこと開店したカフェ

 

です。

 

最近はスマホで検索すると、いろんなお店が検索できるので

 

、少々辺鄙な場所のお店でも集客が可能なのでしょう。

 

予想以上の満足でカフェを後にして車に戻ると、車の周りを

 

タマムシが飛んでいるではありませんか。

 

タマムシの綺麗さは何とも言えず、思わず手で捕まえようと

 

すると、不思議にも捕まえることができました。

 

これは持って帰ろうと車の中に持って入り、しばらく手に乗

 

せて眺めつつ楽しんでいると、やはり逃がしてあげようとい

 

う気分に。

 

持って帰って標本にするつもりでいたのですが、このような

 

気分は珍しく、とにかく車の外に放しました。

 

その時ピーンと来ました。

 

このタマムシ、義母だと。

 

実は義母の名前は多摩子でした。

 

きっと昨晩のトンボも義母で、いっこうに気が付かないため

 

に語呂合わせで、タマムシで登場したのでしょう。

 

鈍いやっちゃなぁと思ったのかも知れません(笑)

 

そんなバカなと思われるかもしれませんが、なぜだか強くそ

 

う感じるのです。

 

更なる驚きの事実

 

しばらくしてから気が付いたことですが、今回の旅行は偶然

 

にしては、あまりにも出来すぎているのではといことが発覚

 

しました。

 

まずグランピング施設の位置です。

 

亡くなっている義母、義父の育った地は車であれば15分位で

 

いくことができる近場です。

 

そしてこのグランピング施設は泊まりに行く、約一か月前に

 

オープンしたのですが、開発される前はただの山でした。

 

しかもこのグランピング施設から歩いて5 分位の所が義父の

 

生まれ育った場所だったのです。

 

もう義父の親族とは、殆ど付き合いがなく年賀状をやり取り

 

する程度だったので、まさか泊まりに行くグランピング施設

 

が義父の故郷の側とも思いませんでした。

 

更に翌日行ったカフェ、あのタマムシが登場したカフェです

 

 

何と義母が生前よく口に出していた地名の場所だったので

 

す。

 

具体的にはどのような思いでがあったのかは知らないので

 

すが(もしかしたら聞いたことがあるものの、私が忘れて

 

いるだけかも知れませんが)、よく口に出していた地名で

 

した。

 

きっと思い出のある土地なのでしょう。

 

もしかすると今回の旅行は夫婦二人の旅行ではなく、義母義

 

父四人での旅行だったのかもと思います。

 

シンクロニシティが連続して起こった、不思議で楽しい旅行

 

でした。

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上手くいかない時こそ!

日常生活の中で、上手くいかないことは、誰しも経験する

 

ものです。

 

もし日常生活の中で、困ったことなど起きないという方が

 

いらっしゃるならば、その方は悟りを開いた方でしょう。

 

つまり生きていく中で、上手くいかないなと感じることは、

 

普通の人間なら、ごく普通の経験です。

 

しかしこの状態からは脱したいものですよね。

 

なぜ上手くいかないのか

 

そもそもこの世界に生まれてきたのは、様々な経験をしたい

 

ため、自ら進んで生まれてきました。

 

スピリットの状態では、意識した瞬間に現実化するため、

 

ハラハラしたりドキドキしたりといった経験ができません。

 

そのため、いわゆるあの世では退屈な気分になりがちなわけ

 

です。

 

そこでスピリットは、何かと制限の多い、この地球に生まれ

 

て様々な経験を楽しんでいるのが実態です。

 

もちろん様々な経験を通じて、なにがしかの気付きを得る

 

ことが目的です。

 

つまり日常生活の中で上手くいかず、困った状態や苦しむ

 

状態は、ちょうどレジャーランドでのアトラクションの

 

ようなものです。

 

しかし!アトラクションの楽しみ方は、自ら選ぶことが

 

できます。

 

困ったり、苦しむだけが与えられた選択肢ではないといこ

 

とです。

 

隠れた思い込みを探す

 

日常生活において経験する様々な出来事は、本人の持ってい

 

る考え方によって決定されています。

 

たとえば職場の上司が威圧的で、どうも自分のことを嫌っ

 

ているようで、何かにつけて辛くあたってくる場合を考え

 

てみましょう。

 

よくある話ですし、一見その上司は悪い奴だというイメージ

 

を持ちがちですね。

 

ところが本人の頭の中で、その上司は私に辛く当たる、ひど

 

い奴という考えが出来上がっています。

 

実はこの考えが、そのパワハラ的な上司を作り上げているの

 

です。

 

そんなバカな!その上司のひどい対応があったから、上司の

 

イメージが出来上がったんじゃないかと言いたくなります

 

ね。

 

しかし本当は本人と上司で、そのひどい現実を共同創造し

 

ているのです。

 

無限のパラレルワールド

 

最近ではよく耳にすることが多くなったパラレルワールド、

 

マルチバースともいいます。

 

実は世界は単一ではなく、想像できる世界は無限に存在しま

 

す。

 

ほとんど違いがないパラレルワールドから、家族構成や性別

 

まで違うパラレルワールドが存在します。

 

さらに驚くことに、瞬間瞬間に、あなたはパラレルワールド

 

を移動しているのです。

 

周りの人の様子が今日は何だかいい感じ、あるいは悪い感じ

 

だと思うことはありませんか?

 

それこそが違うパラレルワールドに移動している実感なの

 

です。

 

そしてその移動する要因が、あたなが考えていること、つま

 

り、あなたの持つ観念と言えます。

 

そしてどのパラレルワールドに移動するかは、自ら選択する

 

ことができるのです。

 

フリをする!

 

もしあなたが、馬の合わない上司に当たったと感じるなら、

 

自分の頭の中にはどんな観念、つまり考えがあるのかを考え

 

ます。

 

やはりこの上司は私のことを嫌っている!私のことを辞めさ

 

せたいと思っているはずだ!

 

最悪の部署に配属されてしまった。などと考えているかも知

 

れません。

 

しかしそういった観念があるからこそ、今そういった現実を

 

経験している。

 

もっと正確に言うなら、そのような現実を創造してしまった

 

わけです。

 

そこで、この好まない現実を脱したかったら、持っている

 

観念を変えれば、別のパラレルワールドへ移動することに

 

なります。

 

そこで大事なキーワードがフリをするというものです。

 

初めは少し難しく感じるかもしれませんが、たとえば

 

上司がきつく叱責してきたとしましょう。

 

その時、この上司は私の能力に期待して激励のつもりで

 

叱責しているのだ。

 

よほど私のことを気に入っているのだな、と考えるのです。

 

頭の中で感じるだけで結構です。

 

その上司が実際何を考えているかは一切関係ありません。

 

しかしそのように肯定的に受け取るフリだけで大丈夫です。

 

初めは何も変化がないように見えますが、しばらく続けて

 

いると不思議と現実が反映されてくることでしょう。

 

とにかく、まずは頭の中で希望する自分のキャラクターを

 

演じます。

 

パラレルワールドなどの知識がないと、信じられない話か

 

も知れませんが、これは事実です。

 

まとめ

 

自分の持っている考え、つまり観念が現実を作っている。

 

言い換えれば、自分の観念によって住む世界を選び、移動し

 

いる。

 

ということは、自分の観念を変えれば、好みの世界に住むこ

 

とができる。

 

まるで魔法の世界か何かの話と思う方もおられるかも知れま

 

せんが、これがこの世の仕組みです。

 

いわゆる引き寄せの法則も、同じことを言っているに過ぎま

 

せん。

 

法則に従えば、法則に従った結果が出るだけです。

 

単純ですが、まだ多くの方が気付いていません。

 

是非とも日常生活に活かしてみて下さい。

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死後はどうなる?

誰にも必ず、等しく訪れるのが死。

 

最近は昔のように、家で家族の死を見届ける機会が減り、

 

死の訪れに鈍感になりつつあるのかも知れません。

 

家族の死を、目の前で看取る機会が少なくなり、死について

 

考えることも減ったのかも知れませんね。

 

家族の死を看取った経験談

この話は私の経験談です。

 

私たちは、妻の母つまり義母が認知症になったため、義母と

 

同居をしていました。

 

認知症という病気柄、始めのうちは様々な苦労もありました

 

が、デイサービスの利用などを活用したりして、それなりに

 

約十年ほどでしたが、介護生活を経験しました。

 

介護生活の中で、いろいろ興味深い話もありますが、その話

 

はまた別の機会にお話ししましょう。

 

今回はその義母が亡くなる間際、とても不思議で、とても

 

ほっこりする気持ちになったお話です。

 

認知症でも自覚がある

義母は認知症になり、緩やかなペースで病状が進みながらも

 

不思議と平穏に生活をしていました。

 

転倒による股関節の骨折により入院したのち、車いすが必要

 

な状態にはなりましたが、無事家に戻ることができました。

 

そして約一か月後に突然死が訪れました。

 

穏やかな死を経験

朝義母の着替えなどを介助して、ベッドに再び横になって

 

もらい、朝ごはんの準備を進めます。

 

キッチンにつながった部屋にベッドがあるため、義母は

 

時折、朝ごはんの準備を横になりながら見ています。

 

あと少しで料理ができるという頃、義母と目があいました。

 

その時の表情は、いつになく表情豊かにニコニコしていまし

 

た。

 

認知症の影響もあってか、表情も薄いことが多かったので、

 

この日の表情はとても印象的であったこと覚えています。

 

しかも目の輝きがピカピカとして、こちらを見ていました。

 

「もうすぐできるからね。」と声をかけると、ニコニコしな

 

がら頷いています。

 

いつもと様子が違うなと何気なく思いながら、調理を進め、

 

出来上がったので、「おまたせ!」といって料理を持って

 

行くと息が止まっていました。

 

お迎えが見えていたかも

今思うと、もしかしたらニコニコとこちらを見ていた時、

 

お迎えの人が見えていたのかもと思えてならないのです。

 

義母は早くに旦那さんと息子を、ほぼ同時期に亡くしてい

 

て、ずいぶんと辛い経験をしたようです。

 

本人は看護師をしながら、残った二人の娘を育て、その一人

 

が私の妻というわけです。

 

時折、あの時旦那さんと息子さんが、迎えに来てたのかな、

 

と思います。

 

きっと幸せな瞬間だったのかも知れません。

 

時折義母の存在を感じる

時折、一人で車を運転していると、横に義母が座っている

 

感じがする時があります。

 

目に見えたり、声が聞こえたりするわけではないのですが、

 

義母の存在を感じます。

 

もちろん不気味だとか、そのような雰囲気は全くなしです。

 

しかも何故か昼間の時間帯です。

 

ちょっと遊びにきてくれた、そんな感じですね。

 

また家族旅行に行くときは、一緒においでよと声を心の中で

 

かけるのですが、一度面白いことがありました。

 

今は私と妻、そして息子の三人家族なのですが、和歌山県の

 

白浜に旅行に出かけた時の話です。

 

ごはんを食べようとレストランに入りましたが、何とお店の

 

ひとがテーブルに水と割りばしなどを四人分持ってきたので

 

す(笑)。

 

やっぱり付いてきてくれたのかなと、私と妻は顔を見合わせ

 

て微笑みました。

 

義母は義母で、何かと忙しいのかも知れません。

 

たまに様子を見に、遊びに来るようですね。

 

まとめ

思うに生と死は断絶されたものではなく、陸続のものだと思

 

います。

 

以前石原慎太郎さんが、亡くなった弟の裕次郎さんのことを

 

不在感はあるけど喪失感はないんだ、と言っていました。

 

まさにその通りに感じます。

 

亡くなっても存在がなくなるわけではなく、違う世界に移動

 

した程度のことだと思います。